部屋・本・AI

部屋

唐突に作業用デスクの片付けをした。今まで様々な技術書や雑誌・小説が平積みになっていたのだが、本立てを用意して必要なものだけを縦に並べ直した。さらに、デスクの上を無造作に這っていたキーボードなどのコード類も、整理してできるだけ背後に回るようにテープ留めをした。たったこれだけのことで、見栄えが劇的に良くなって、読書欲が湧いてくるようになった。この部屋に住んで2年近く経つが、なぜこんな簡単なことをずっとやってこなかったのだろう。腐敗というのはひっそりと忍び寄ってきて、気づいた時には自分の生活と同化してしまうものなのだ。

ちょっと前に、クオンツの友人に勧められて読んだ『物価とは何か』という本は結構面白かった。

インフレもデフレも人々の気持ち次第みたいな気がしてくる。デフレマインドみたいな言葉はただの標語じゃなくて、実際の経済に影響を与えるのだろう。経済学の面白いところは、単なる過去の事実だけでなく、それを使った未来予測の情報が現在の値を決めるという部分だと思った。もちろん未来から過去へ情報が流れるわけではないが、可能性としてある未来が現在に影響を与え、その結果本当の未来が作られていくという部分に単なる物理系とは異なる相互作用がある。

小説は、サマセット・モームの『雨・赤毛』を読んだ。

厳格な宣教師が売春婦にしてやられたり、若い男女の情熱的な愛が風化する様は、僕のような平凡で俗な市民のワイドショー的好奇心を刺激する部分があり、とても楽しんで読める。モームは、小説はエンタメでなければならず、結末のはっきりしない純文学然とした作品は良くないと思っているようで、そこが自分には合う。

AI

最近の機械学習技術の進歩は本当に驚くものばかりで、Stable diffusion だったり、ChatGPT だったりあと10年はかかるだろうと(自分が勝手に)思っていたものがどんどん出てきている。数年前は、AIという言葉がブームになったものの、SF映画で出てくるような人工知能にはまだ程遠く、画像中の犬や猫を見分けられるようになったくらいで騒いでいたように思う。しかし今では文章や画像の生成という、人間だからこそできると思われていたようなことが可能になってしまった。

このスピード感を見せつけられると、人間の創造性というのは実はそんなに大したものではなかったという気がしてくる。ちょっと何かの真似をして絵や文章を作るというのは、実は超大量のデータと、それを効率よく処理するソフトウェア・ハードウェアがあればできてしまうようなものだったのだろう。さんざん各所で語り尽くされていることではあると思うが、こういう創造的なAI技術に比べると、事務的な処理を間違いなく正確にやるタイプの技術はまだまだ遅れている。もはや群雄割拠となってしまった生成系AI界隈に比べると、商機はそっちの方にある気がする。

また、こういうAIの研究開発の進展を見ると、インターネット広告について考えてしまう。僕はインターネット広告が本当に嫌いで絶対クリックしたくないし、可能な限りアプリやアドオンでブロックしているのだが、一方であれが Google や Meta の資金源になり、AI分野のイノベーションを加速させたのは事実だろう。一エンドユーザーにとって広告はただの邪魔者でしかない(時々広告をポジティブに思う特異な人もいるが)、しかし全体で見ると良い行いになっている。こういうことを考えると、もう若い人は広告の有無なんて気にしていなくて、自分のような人間はただの老害なのかもしれないと思うこともある。しかし好き嫌いは個人の自由だし、お前が歳をとっただけだといわれたら、それはちょっと全体主義的なんじゃないかなぁとは言いたい。