師走なので走っている

PhDも走るといわれる師走なので走っている。一年くらい運動をサボっていてその間ずっとリモートワークなのでひどい有様だが、少しずつ調子が戻ってきている。ランニングを再開した初日は3kmゆっくり走るだけで精一杯だったので、本当に物事はなんでも継続なのだと思った。

最近自分が継続していることは英語でニュースを読んだり聞いたりすることで、具体的には The Economist を購読して毎日読んでいる。毎回知らない単語が出てくるし、ゆっくり読めばわかる表現も流し読みしていると頭に入ってこないということもあり、自分にはちょうど良いレベル感になっている。あとついでに最近の国際ニュースはなんとなく頭に入るようになった。本当に理解できない時は面倒になって DeepL に突っ込んでしまい悔しい気持ちになるが、最近の棋士は当然のように AI を使って勉強しているというような話も聞くので、まあ良いだろう。

今年はちょくちょく大学同期で今でも研究を続けている友人達と会うことがあった。自分で研究職には就かないと選択したとはいえ、彼らがずっと同じ物事に打ち込んでいる姿を見ると少し羨ましい気持ちになる。思い返すと自分は小中学校とやっていたサッカーも高校に入ってあっさり辞めてしまい、博士課程まで9年やった物理も辞めてしまい、一つの物事を継続できない人間なのだと思う。どれもそんなに筋は悪くなかったと思うので、これはきっと自分の精神的な部分に根ざしているのだろう。

先週の日曜日、ナンバーガールの解散ライブを見た。素晴らしいライブだった。ナンバーガールといえば1回目の解散ライブで向井秀徳が「終わる歴史もあれば続いていく歴史もある」と言ったのが有名だが、一度終わったものがこうやって時を経て集結してそしてまたそれぞれの道に戻っていくというのは感慨深かった。自分にもいつかこういうことがあればいいなと思う。

文章を書くことは難しい

ITエンジニア界隈は、12月になるとアドベントカレンダーと称してブログ記事を量産する風習がある。今年は自分も一つ書こうと思ってエディタを開いたものの、どうも筆が進まない。書くべき材料は十分揃っているが、なんというかうまく文体が作れない感じがする。

文体というと大きいところではまず、敬体・常体というのがある。このブログは基本常体で書いている。個人のスペースに属する文章には常体がふさわしい気がする。逆に Qiita や Zenn のような場所に書くときはなんとなく敬体になる。人に読まれるという意識が強くなるからかもしれない。だからといって敬体である必要はないけれど。世の技術記事にはどちらのスタイルのものもあるが、いまだに自分が書くときにどちらがしっくりくるのかわからない。

技術的な記事を書こうとすると、一応想定読者みたいなものを念頭に置いて、どこまでは説明してどこからは説明しないかというようなことを考えることになる。そうやって型にはめてイントロやセクション割みたいなことをやって書いた文章をいざ読んでみると、説明的で凡庸でつまらない感じがする。別に論文を書くわけじゃないのだから、もう少し遊びみたいなのが欲しいなと感じてしまう。

かといって個人的な感想をどんどん入れていくと本題に入るまでに文章が長大になってしまい、これはこれでちょっと…となってしまう。

トルーマン・カポーティは文体というのは持って生まれたものだと言ったそうだ。村上春樹も文章を書くということはある程度までは訓練でできてもその先は才能だというようなことを言っていた気がする。まあそんな大げさな話ではないが、自分の中にもう少し文章のスタイルを確立したいと思う。

帰省

この土日は帰省していた。特に誰かが死んだり結婚したりしたわけではなく、諸事情あって年末は帰省できないのでこのタイミングで帰っておこうと思ったからだ。

僕の実家は日本海に面した田舎町にある。東京駅の紀ノ国屋で買ったビールとつまみを持って、朝10時の新幹線に乗り込んだ。

このサラミが異様に美味かった

日本海側の冬はいつも空が曇っていてどんよりとした気持ちになるのだが、この土曜日は珍しく天気が良かった。帰省するたびに、地元で飲食店をやっている親戚を訪ねて色々食べさせてもらう。今回は刺身と鰻の白焼きを頂いた。

故郷の記憶は、東京に出てきた18の時で半ば止まっているので、時々帰ると周囲の人が自分の想像以上の年齢になっていって驚く。僕の両親も体にガタが来始めており、もう10年も経つと放ってはおけなくなるのだろうなということを考えてしまった。

暇な時はずっとトルーマン・カポーティの『冷血』を読んでいた。

カンザス州の田舎で一家4人が殺害された事件を元にした小説で、取材と筆致の細かさには驚かされるが、文章として読んで面白いかと言われると今のところは微妙かもしれない。なんとなく、幼い頃、夜に家の周囲がひっそりとすると(実家は田舎なので夜は本当に暗く静かになる)どこからともなく暴漢がやってくるのではないかという根拠のない恐れを抱いていたことを思い出した。冬は積もった雪の反射でいつもより明るくなり、時々除雪車も通るので安心感があったりもした。

母親と話をすると毎回、何を言いたいか要領を得なかったり同じことを何回も話したりするので次第にうんざりしてくるが、まあ人間いつ死ぬともわからないので悔いのないように接しておかねばと思って付き合っている。

年末になると何かやった感を出したくなりブログを書こうという気持ちになる。これをもっと継続していきたいのだけど。

SNSとの距離感

労働

企業勤め3年目になって給料がだいぶ上がってきた。IT系の人材不足が叫ばれて久しいが、弊社も例外ではないようで、自分みたいな初心者でも割とトントン拍子に昇給している。学生の頃は国内最高峰フェローシップこと学振でギリギリの生活をしていたわけだけど、その n (n>1) 倍は入るようになったのでだいぶ精神的に余裕が持てるようになった。

僕は一応R&D部署みたいなところにいるが、2年と少しやってきてわかったのは、自分は企業がやる応用研究にはあまり興味が持てないということだ。会社がやっているのはだいたい自社ドメインの技術開発とかそれを応用したサービスの特許化みたいなところだが、そういうのは大抵技術ベースで話が始まる。僕はそういう発想があまり合わないようで、常に物事は課題ベースで始まってほしいと思う。これはものすごくざっくり言うと理学と工学の違いなんだろうなと思ったりもする(僕は完全に理学側の人間)。難しい問題を簡単な技術でうまく解くのがかっこいい。ということで、そろそろ転職も視野に入れないとと思っている。

Twitter

ここ数年、Twitterへの投稿がかなり減ってしまった。見てはいても特にツイートすることもないな……となってしまう。要因は色々あって、仕事も含めた私生活の変化が大きいと思う。特に在宅で仕事をしているので日々に大きな変化もない。外に飲みに行った時だけ更新するみたいな感じになってしまっている。

ただ、仕事中ふとTwitterを見て時間を溶かすことはよくあったので色々対処法を模索してきた。最近はフォローしていない人のツイートがよくおすすめで表示され、そういうのは結構うまくできているのでついつい見過ぎてしまったりする。なんとかしようと思っても、人間の意志の力は弱いので、iOSのスクリーンタイムで制限をかけるくらいだと簡単に破ってしまう。最終的に freedom というサービスに課金した。

freedom.to

確か年額は30ドルくらい。Twitter含めたSNSなどへのアクセスを自分で決めたスケジュールで完全にブロックしてくれる。今は平日昼間に設定している。一度発動すると解除するのが面倒なので、SNSを見ることがなくなる。結構良い買い物だったと思う。

その他

4月末からGWにかけて某機械学習コンペサイトのコンペに参加していた。初参加・ソロプレイで世界 top1% くらいには入れたので普通に向いていると思う(上位はチームプレイが多いので、結構健闘したのではないか)。しかし、出身研究グループにいた若い天才教授の「大学院生になったらいつまでも人が作った問題を解いていてはいけない」という言を真に受けているので、こういう天から降ってきた問題を解くだけの競技はこれ以上真剣にはやれない気がする。

なお、コンペの過程で自宅からサーバーに大量のデータ(三日で500GBくらい)を送信していたら、契約しているプロバイダに通信制限するぞと警告されてしまった。

自分はこういう競技をやるよりは、もっと基礎的なことをのんびり勉強するほうが楽しいと感じる。最近はこの本でコンピュータ・サイエンスの勉強をしている。

僕はずっと数学や物理をやっていたこともあり、コンピュータ・サイエンスを体系的に勉強したことがないのがコンプレックスだったのだけど、それを解消するのにちょうど良い。二進法から始まってアセンブリを読んだり、仮想メモリについて概観できるようになったりする。

Twitterアプリをスマホから消した

先週本屋をぶらぶらしていて見つけた本に影響されてtwitterアプリをスマホから消した。

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本の前半では、現代人はスマホSNSのせいで注意散漫になり、また巨大IT企業が莫大な投資をしてユーザーの注意力を奪い会うための競争を繰り広げているため、半端な努力ではそれから逃れるのが難しいことが説明されている。特にSNSはライトな繋がりと承認欲求を満たす場として、単に時間を奪う以上にユーザーの精神にも悪影響を与える。この本の後半では、単なるアナログ回帰ではなく、SNSや広告などの誘惑を避けつつ、生産的な活動の質を上げるために現代のテクノロジーをうまく使っていこうという主張がされている。

そういえば少し前に Netflix で見た『監視資本主義』というドキュメンタリーでも同じような話がされていた。

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本でもドキュメンタリーでも共通して述べられていたのは、僕ら個々のユーザは、TwitterFacebook, Youtube のようなサービスにとっては客ではなく広告主に売り渡す商品であるということだ。そしてそのためにできるだけユーザーを画面に釘付けようと技術開発をしている。僕自身もインターネット企業で働いているので、ユーザーのWebサイトの回遊を0.1%増やすのに企業がどれだけ莫大なお金を投下しているかについてはある程度見知っているつもりだ。サービスの規模が大きくなればなるほど、0.1%の改善が生み出す利益は大きくなっていくので、大きいサービスにはより多くの人や計算資源のリソースが投下されていく。そのようにしてシステムが開発されている以上、個人のささやかな意志の力でそこから逃れることは非常に難しい。だからこそスマホからアプリを消すというような、思い切った手段が必要になる。

僕自身はtwitterでできた知り合いもいるのでSNSを完全にやめようとは思わない。しかし、日中少し息抜きにと思ってスマホでタイムラインを遡り、気づいたらかなりの時間が経過していたということが増えて流石に良くないと思うようになっていた。特にリモートワークの環境下では他人の視線がないのでそのような注意散漫が加速する。

ということで、スマホからはアプリを消し、アクセスするのは夜や休日のちょっとした時間にPCのブラウザからというルールを設けて一ヶ月過ごすのを初めてみた。とりあえず一週間経ったが、iPhoneのレポートによると、以前より画面を見る時間は63%減ったらしい。また以前使用時間の上位にいた twitter は姿を消し、gmail を見ている時間が多くなった。Gmail では大体仕事に関わる技術の最新のニュースレターを読んだりしているので、これは良い時間の使い方である。一ヶ月後果たしてどんな状態になっているだろうか。

3月の近況

引っ越し

最近諸事情あって引っ越しをした。都内で10km程度の移動距離ではあったが、引っ越し直前は片付かない荷物の山を眺めて絶望したりしていた。

新居は日当たりを重視して選んだ。前の部屋はマンションの一階で隣にも建物が立っていて全然陽の光が入ってこなかった。家賃は安かったしいわゆる分譲賃貸だったので設備は整っていて、それ以外の条件は良かった。まだコロナウイルス流行前だったこともあり、日中はどうせ仕事に行っているんだからと日当たりは妥協したのだけどまさかこんなことになるとは。勤務先が在宅勤務に移行し、結局日中の大半を陽光の遮られたワンルームで過ごすことになってしまった。

朝日を浴びないとそもそも朝スッキリ起きられない。これは人にもよるのかもしれない。夜型の人はあんまりこういうのは気にしないのだろうか。僕の場合は、ベッドで目が覚めてから起き上がるまでに非常に長い時間がかかったし、休日の午前中は寝つぶしてしまうことが多かった。気分が落ちないように昼間は意図的に長めに外を散歩するようにしていた(在宅勤務なのでそうしないとずっと家にこもってしまうことになる)。夏場でさえ外に干した洗濯物はしっかりとは乾かず、浴室乾燥機に頼る生活が続いていた。浴室乾燥機の吸気フィルターに少しずつ溜まっていく埃を眺めながら、ここには長くは住めないと思うようになった。

新居はマンションの上層階で真南に面している。東側にも窓があり、朝はそこから強烈な陽の光が刺してくる。毎朝部屋が明るくなると、急にスイッチが入ったように目がはっきりと覚める。とても良い。

引っ越してから順調に暮らしていたわけだけど、つい先日腰をやってしまった。特に前触れはなく、洗い物をしようとほんの少し身を屈めた時にピキッと電撃が走り、痛みが襲ってきた。起き上がれないような腰痛ではなく、実際部屋を歩き回ったり椅子に座って仕事はできていた。しかし、昼食を取ろうと外に出たところちゃんとした距離を歩くのが困難なことに気づいた。その日は家のすぐ近くで食事を調達しずっとベッドの上にPCを持ち込んで仕事をしていた。

そんな状態が2、3日続いた。整形外科に行ったところぎっくり腰の手前のような状態という、よくわからない診断をされた。一応レントゲンも取ったし大きな異常はなかったということではある。僕の骨格上、腰回りの筋肉に歪な負荷が溜まりやすくなっているというような説明を受けた。ストレッチの仕方を教わり、湿布をもらって帰宅した。その後だんだんと痛みは和らぎ普通の生活に戻れている。

この話を美容室のお兄さんにしたところ、筋トレを勧められた(僕はかなりの痩せ型体型なのだが、そのようなタイプは筋肉をつけたら改善するらしい、本当か?)。もう良い年齢になってきたので自分の体の状態に自覚的になる必要があるのかもしれない。

やりたいことがたくさんある

やりたいことがたくさんある。プログラミングや統計など勉強したいことはたくさんあるし、ようやく暖かくなってきたので外を出歩いてお酒を飲んだりしたい。本も読みたいし音楽も聴きたい。ワーク・ライフバランスを取らないといけないし、ライフの中でも物事のバランスを取らないといけない。漫然と過ごして貴重な時間を意味のないこと(Twitter のタイムラインを遡る作業など)に費やしすぎないようにしたい。

最近読んだ本

純粋に面白かった。チープな叙述トリックではなく、シンプルにミステリーとして面白い。こういう小説が良い。

2020年振り返り

2020年を振り返る

仕事

年始はD論の審査会があった。研究室の練習でボコボコにされてとても辛かったけど、本番では無難に受け答えできて無事博士号を取得できたのでよかった。どうでも良いけど、個人的には「はくし」より「はかせ」という読みの方が好き。 1-3月は審査会以外にもセミナーや研究会で発表する機会がいくつかあってそれなりに忙しかった。でも人前で英語で発表する度胸はこの五年間でかなりついたと思う。ゴリゴリの Japanes English だけど。

4月からは会社に入っていわゆる社会人というやつになってしまった。博士の学生だって(少なくとも僕の周囲では)一人の独立な研究者として見られていたし、教員と研究室を一緒に運営しているという意味では十分社会的な存在なのだけど、この国では企業に勤める人イコール社会人という認識があるらしい。不思議だ。

まあとにかく4月から企業勤め人になり、コロナ禍のために入社からずっとリモートワークをしている。仕事は研究とは全く違う分野なので(僕の研究内容は一般社会では役に立たないのでそれを生かした就職はできなかった)学ばなければいけないことが沢山あってなかなか大変だった。会社には研究と違って比較的タイトな締め切りが多くある。そのため必然的に人々から余裕が失われていくし、コミュニケーションがちょっとでも不足して手戻りが生じるとすぐにキツキツになるという印象を持った。効率よく働かないとあっという間に労働で人生がすり減ってしまう。

今年はひたすら三体を読んでいた。1巻と3巻は英語で読んだ。ケン・リュウが英訳していたので彼の翻訳で読みたいと思ったからだ。この時代にあえてこんなどストレートな大作SFを書いて、しかもそれが全部面白いと言うのはすごい。特に2巻で出てくる黒暗森林 (dark forest) というアイディアがとても優れている。このアイディアのおかげで第3巻も成り立っているといって過言ではない。

The Three-Body Problem (English Edition)

The Three-Body Problem (English Edition)

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

三体II 黒暗森林 下

三体II 黒暗森林 下

  • 作者:劉 慈欣
  • 発売日: 2020/06/18
  • メディア: 単行本

英語は必然的に読むのに時間がかかるので今年一年はこれ以外の小説はほとんど読めなかった。一応いくつか読んだ中では『黄色い雨』が印象に残っている。

黄色い雨 (河出文庫)

黄色い雨 (河出文庫)

仕事の勉強のための本を読むことも多く、趣味の読書が少なめになってしまったのは反省。

音楽

今年よかったアルバム。

サニーデイ・サービスの新しいアルバムは、彼ららしい音楽が現代でも通用すると改めてわかってとてもよかった。

open.spotify.com

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あとは今年の曲ではないけど、 YouTube 上のオンライン・クラブイベントで偶然知った星宮ととさんの音楽がよかった。何が良いかと言われると言葉にしづらいのだけど、とにかく今年はよく聞いていた。

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2021年

もっと余裕のある、持続可能な人生を遅れるように色々な物事のバランスをとっていきたい。